災害狂想曲を切り捨てよ~天地と共に生きる覚悟~

【加賀藩 精神独立基盤 08】

災害狂想曲を切り捨てよ
〜天地と共に生きる覚悟〜

一、 煽りと利権の「災害商品」を黙殺せよ

「今年は台風が多い」「豪雨が来る」「地震の脅威が」——メディアや予報機関が連日繰り返す恐怖の連呼。それらは単なるビジネスであり、不安を商品化して保険や対策グッズを売りつけるための宣伝に過ぎない。

歴史の浅い外来のシステム(保険ビジネスやリスク管理産業)は、恐怖を煽って依存させ、金を吸い上げる構造の上に乗っている。

自然の猛威は、人間の保険やシステムごときで止められるものではない。実体のない恐怖ビジネスに心を占領され、右往左往するのは愚の骨頂である。不安に流されて不要な契約を重ねる必要はない。備えや制度など、身を守る最小限のものが一つあれば十分だ。


二、 「八百万の神」と「自然を悪とする獣の世」の決定的な違い

元寇(文永・弘安の役)を退けた暴風雨や、太平洋戦争期に米艦隊を打撃したコブラ台風を引き出すまでもなく、この列島は地球上で最も苛烈な自然環境と隣り合わせにある。

この猛威に対し、思想の根底において決定的な差が存在する。

異教・獣の世の思考:
自然や猛威を「悪」と規定し、竜や悪魔に見立てて打ち倒し、服従・支配しようとする。自然を敵と見なす剥き出しの悪意である。

この列島の思考:
荒ぶる自然をも不可抗力の神々(八百万の神)として敬い、その移ろいの一部として共生する。これこそが日本が「神々の国」たる所以であり、人の善性の表れである。

諸外国のように「自然をねじ伏せ、制御する」という不遜な思想は、この列島には通用しない。無数の地震、噴火、猛烈な台風は数千年前から変わらぬ日常であり、日本人はその天地の理を受け入れることで命脈を繋いできた。

三、 「ダメな時はダメ」という諦念と無常観こそが誇り

昔からの日本人は、無意味な恐怖に怯えるのではなく、「あきらめ(明らめ=理を明らかに受け入れること)」の境地を持って生き抜いてきた。

「なったらなった時だ」
「自然の摂理には抗えない」

この腹のくくり方こそが、数千年途絶えることなく種を繋いできた民族の強靭さの根源である。自然をコントロールできると過信し、恐怖に怯える現代の脆弱なシステムに惑わされるな。

過剰な情報遮断と無駄な煽りを切り捨て、静かにこの天地の理を受け入れよ。己の足で地に立ち、正気を保って生きていくことこそが、真の自律である。

四、 甘味を捨て「誠実な食と蓄え」で肚(はら)を据えよ

「抗えぬ自然を受け入れよ」と聞けば、人々は「それでは何の救いもないのか」と呆然とするかもしれない。しかし、真の救いや安心とは、外部から買い与えられる気休めや補償の中にはない。

甘味や無用な刺激的な快楽を削ぎ落とし、己の手で整えた誠実で素朴な食を日常の土台とすること。
そして誠実な国産の米、豆、天然海塩、自作乾燥キノコを積み上げよ。
そして常食として普段の生活で消費し続ける。

この身体と生活の自律さえできていれば、どのような天地の変動が訪れようとも取り乱すことはない。「なったらなった時、己は己の足で立つ」という揺るぎない肚(はら)が据わる。

過剰な恐怖と無駄な煽りを切り捨てよ。静かにこの天地の理を受け入れ、誠実な食をもって正気を保ち生きることこそが、過酷な世を生き抜く唯一にして絶対の救いである。

— 加賀塩之介 —


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