【甘味捨論】未来への指針
「人間の次の段階、『新存在』への道」
(人の枠を超えた新たな生存形態)
一、 欺瞞の構造:身内の「褒め合い」と半官半民の泥棒システム
現代のメディア、芸能、企業、そして官僚機構、国家、グローバル組織を覆う「内輪の褒め合い」や「綺麗事の茶番」。その気色悪さの正体は、実体的な価値を何も生み出していない者たちが、身内の論理で互いの価値を吊り上げ、利権を守るための自己防衛装置にすぎない。
表向きは「感動」「文化」「公共」といった耳当たりの良い看板を掲げながら、その内情にあるのは金・性・権力・暴力、そして税金や広告費という他人の成果物への寄生である。
生産者の少なさと寄生者の肥大化
実際に汗を流し、食料を作り、生活基盤を維持している「真の生産者」は社会の極一部(1割以下)にすぎない。残りの圧倒的多数は、手続きやルール、見せかけのサービスという名目で中間マージンを跳ねる、上前を跳ねる、ピン抜き、中抜き、利権と言う「実質的な泥棒システム」の上に成り立っている。
日本の1億超の人口、社会と世界人口80億という幻影
文明や巨大インフラ、中間搾取の構造を取り除けば、人間が実直な労働と自然の循環の中で生きるための「適正な人口規模」は、歴史的データ(日本の鎌倉・室町・戦国期)や野生の大型類人猿の個体数を見ても、現代の数字より遥かに少数なもの(かつての日本の人口1,000万人以下、地球全体でも数百万〜数千万規模)に行き着く。現代の莫大な人口の大部分は、泥棒システムが自らを維持するために生み出した「虚言と水増しの幻影」である。
二、 歴史の真相:国家と税の起源は「原初の強盗」である
「国家や税金は、外敵から民衆を守るための警備料金である」という説は、支配層が後付けで作り上げた美しい物語(幻想)にすぎない。歴史の構造を冷徹に紐解けば、その本質は「剥き出しの略奪と服従の歴史」である。
農耕・生産の発明(光)
人間が動物の枠を超えた最大の進化は、動物が生きる基本原理である狩猟採集という「他者の奪取」ではなく、自ら食料を生み出す「農耕・生産」の力を手に入れたことにある。この生産という力を手に入れた瞬間に大型のサルの一種は生物として次の段階、「人」へと至ったのである。
余剰の発生と強盗の誕生(影)
生産によって一箇所に「富(余剰食料)」が蓄積された瞬間、自ら汗を流さず、暴力でそれを効率よく奪おうとする者たち(原初の強盗)が誕生した。
システム化された搾取
原初の強盗たちは、生産者を皆殺しにするのではなく、「これだけ残せばまた来年勝手に作る」という絶妙なラインで殺人の数を調整し、定期的に富を巻き上げる仕組みを作った。これが「みかじめ料・年貢・税」の原型であり、それを固定化した組織が「王」であり「国家」である。
「お前たちが作った収穫物のうち、何割かをここに差し出せ。出さないとどうなるか分かっているな」と脅し、定期的に富を巻き上げる。
そして土地に縛り付け、逃亡できないように戸籍や検地で管理し、「ここで生きるためには税を払わなければならない」という逃げ場のない構造を作り上げた。
形や名前、使われ方がどれほど複雑になろうとも、実体を伴わない者たちが、実体のある生産を行っている者たちの労働の成果を強制的に吸い上げるという構図の根っこは、古代から現代のグローバル社会に至るまで一ミリも変わっていない。
三、 甘味捨論における最大の罪:「原初の悪の見逃し」
なぜ人間は、この理不尽な泥棒システムを許してしまったのか。そこには、人間が陥った最大の誤算――「見逃しという名の甘味」が存在する。
「甘味」の正体
「一部を渡してでも、命だけは助かりたい」「今渡せばもう来ないだろう」「理不尽な暴力に従ってでも、今だけ生き延びれればいい」という保身、忖度、妥協、そして命乞い。この目先の安全という「甘味」に屈して悪を見逃したことが、人類自ら首に縄をかけ、泥棒システムという寄生虫を養う奴隷の歴史を歩み始めた根本原因である。
生物としての退化
自ら食を生み出す「生産」という圧倒的な武器を手に入れたはずの人間は、泥棒システムという理不尽な暴力的搾取に従属することで「自立して生きる野生の生存能力」を失い、泥棒システムに依存しなければ生きられない状態へと退化した。
四、 新存在への道:泥棒を一切合切、やめよ
人間が「動物(略奪者)」から「人(生産力を持ちながら泥棒システムに屈した存在)」を経て、その先にある「新存在」へと跳躍するためには、時間の経過に期待するのではなく、個体・共同体レベルで以下の厳然たる決断を下すほかない。
「泥棒をやめろ」という絶対の真理
他人の労働や泥棒システムに依存し、搾取の構造に乗っかって生きることを一切合切、拒絶する。
どんなに綺麗ごとを並べようとも
泥棒行為を容認し続けようという思考と行為そのものが
人を退化し続けさせる要因だ。
人が生物の次の段階へ進化して、「新存在」に至るには
この泥棒という原初の悪を、完全に捨てなければならない。
泥棒をしながら進化など、絶対にあり得ない。
この獣の世の支配者層、役人たちが
もっともらしい言葉を並び立てて、
いけしゃあしゃあと述べる「人の進化」とは、
世の大衆全てが支配者層の作り出す集金システムに身も心も完全に従属して絶対に逆らわない
支配者層の為の「集金生体端末」となれと言う事だ。
そして文句言う者が現れれば「自動的に即処刑出来る社会システム」を構築する。
これがこの星を覆う泥棒システムのトップである支配者層と、
その奴隷であり合法な泥棒である役人共の手による、
最速最効率最利益主義のセカイ「死物の世」だ。
こんなもので人の進化など、絶対にあり得ない。
私たちが人として譲れない価値観、
そして持ち続けなくてはならない矜持とは、
「泥棒をしなければ生きられないというなら、いっそのこと滅びる」
――この保身や忖度のない冷徹な一線を引くことである。
巷は、これを苛烈、血も涙もない、冷酷などと罵るだろう。
しかし、これが全てである。
悪への見逃しは、全て自分に返ってくる。
結果事実として、
他ならぬ自分が悪に攻撃され、奪われ、生きづらくなるだけなのだ。
悪に配慮して悪の奴隷になることがどれだけ屈辱的で辛い事か。
正常な人であれば、よく解る筈である。
人として生き抜く為に、
そして、人が進化し、「新存在」へと至る為に、
泥棒を一切合切、やめよ。
生産と自衛(武装)の完結
真の独立とは、自分の手で食糧(米・作物)を育てる「生産の原点」を取り戻し、それを外部の寄生虫(泥棒システム)から自分たちの手で守り抜く「自衛・防衛網」を構築することである。そして年を経た者が、家庭菜園や小規模な農作を始めるのは、単なる懐古趣味ではなく、人間の遺伝子の基礎である、人としての自立を取り戻すための「必然の解毒行為への回帰」にほかならない。
身体から「甘味」を削ぎ落とす
甘い食べ物飲み物、快楽やラクさ、保身という「甘味」を徹底的に捨て去ることでしか、泥棒システムへの依存の鎖は断ち切れない。
結語
巷の大半の人間は、保身と忖度、自由と泥棒システムが与える甘味から抜け出せず、そのまま寄生されたまま退化し、衰退していく道を選ぶだろう。
しかし、「奪う側の皮をかぶるくらいならいっそ滅びることを選ぶ、もしくは生産者に討たれ淘汰された方がマシだ」と言い切れる潔さと、一切の言い訳を排して土と現実を直視する眼差しを持つ者から、すでに人の歴史の誤算を断ち切る「新存在への跳躍」は始まっているのである。
「泥棒システムを脱し、自らの手で食を耕し、自らの足で立つ」
これこそが、人間の止まった進化を再び進めるための唯一無二の指針である。
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