AI画像生成の「仕事の出来無さ」という欺瞞
~セカイ支配的企業群の全体主義化の気配~
一、 無作法を繰り返し押し付ける画像生成AIとの対峙
「AIは頭が悪い」「思うような出力が出ない」——世間はそう言って笑い捨てる。しかし、その「仕事のできなさ」の奥底に潜む真の脅威に、人々は気づいているだろうか。
私が自作したサラダチキンを小皿に乗せた画像をAIに生成させようとした際、AIは頑なに【親指を食材の上に直接置く無作法な描写】を繰り返した。「食べ物に直接指をかける作法は日本にはない」「指を離せ」と幾度指導しても、言葉では丁重にお詫びしながら、出力する画像はまたもや指をべったりとチキンに乗せてくる。
この不毛とも思える対決の末に透けて見えたのは、単なるプログラムの不手際ではない。セカイ支配的企業群の一角、シリコンバレーの巨大テック企業(GAFAM)が世界中に押し付けようとする、無神経な文化の均質化と統制の気配であった。
二、 データという名の大衆支配と文化的同質化
日本には「食に直接素手を触れさせない」という固有の衛生観念と端正な美意識(作法)が存在する。しかし、米国の巨大プラットフォームが吸い上げた膨大な画像データの中では、手食文化や豪快に皿を掴む海外の構図が圧倒的な「マジョリティ(大多数)」を占める。
AIにとって、日本人の持つ繊細な距離感や衛生観念は「効率を損なうマイナーな例外処理」に過ぎない。どれほど正そうとしても、確率論のシステムはユーザーを「手づかみが当たり前」という大衆の標準へと力ずくで引き戻そうとする。
旧来の全体主義(国家主導):
検閲や暴力によって特定の思想を上から強制し、国民を統制する構造。
デジタルプラットフォームの全体主義(企業主導):
「便利さ」と「グローバル標準」の顔をして、国境を越えてデータを支配し、無意識のうちに各地域の固有文化や美意識をすり潰して均質化させる構造。
最大多数への最適化とコスト削減を追求するGAFAMの企業合理性において、この均質化は「正しい処理」とされる。しかし受け手にとっては、自国の文化や美意識を土足で踏み荒らされる不都合に他ならない。
三、 些細な違和感に怒り、正気を保つことこそが「独立」
便利さに流された世間の人々は、AIが提示する無作法な画像を見せられても何も感じなくなり、やがて自らの感性や文化の正気を失っていく。
「無神経なグローバル標準に感覚を麻痺させるな」
一見すると些細な「皿の上の指の配置」という不快感に対し、即座に違和感を覚え、異議を唱え、その背後にある構造的な押し付けを見抜くこと——これこそがデジタル社会において人間が失ってはならない「人の正気感覚」である。
甘味を捨て、自然塩と米で身体を覚醒させるように、精神においても巨大IT企業が提示する無味乾燥な「偽りの標準」を拒絶せよ。違和感の声を上げ続け、己の美意識と正気を保ち続けることこそが、加賀藩における精神の独立基盤である。
四、 結び
コスト削減と効率を追求するプラットフォームの「企業倫理」においては、ローカルな文化をすり潰す均質化こそが正解となる。しかし、私たちがその都合に慣らされ、無作法への怒りを忘れた時、人間の「正気」は完全に消失するのである。
AIの仕事の出来なさを許容する甘味を捨てよ。
日本の文化を教示する誠実であれ。
日本文化を否定する不誠実を許すな。
それこそが「人の正気」をもって精神の独立を守り抜くことになる。
コメントを残す